西洋医学については、すでに多くの方がご存知と思いますので、ここでは省略いたします。
しかしながら、最近では、デカルト以来の『二元論』、つまり「心」と「身体」は別であるという考え方では治療に限界があることが認識され始めています。
つまり、「心」と「身体」は別のものではなく、お互いに影響し合っているという考えに変わってきました。
そして、それに伴い、新しい治療方法が体系化してきました。
それらの代表が、
「認知行動療法」や「マインドフルネス」です。
ちなみに、「心」と「身体」は別のものではなく、お互いに影響し合っている、という考えは「心身一如」といって東洋医学では以前から知られてきたことです。
東洋医学はやはり奥が深いですね。
「認知行動療法」は、1960年代に、精神科のAaron T Beckにより提唱されました。
「認知行動療法」とは、それまでにあった「認知療法」と「行動療法」を合わせたものです。
「認知行動療法」をわかりやすく説明すると、
①外来や病棟で、
②医師あるいは医療従事者が、
③患者と対話することにより、患者の「考え方(自動思考)」を変え、それにより「感情」を変え、結果として「行動」を変えることができるようにする治療法
のことです。
「認知行動療法」は、まずは「うつ病」に対して施行されました。
そして、「認知行動療法」は「うつ病」に対して、薬物療法に匹敵する効果があることが確認されました。
認知行動療法は、「抗うつ薬」よりも有意に効果的であるという報告もされています。
(Gloaguen V et al. Journal of Affective Disorders, 1998.)
「うつ病」での有効性が確認された後には、「不安障害」、「心的外傷後ストレス障害」、「パニック障害」、「社交恐怖」、「PTSD」、「子供のうつ病や不安障害」などの精神疾患のほか、「睡眠障害」、「慢性痛」、「糖尿病」などの他疾患に対しても試みられるようになり、有効性が確認されています。
「認知行動療法」は、「うつ病」などの精神疾患のほか、「睡眠障害」、「慢性痛」、「糖尿病」などの疾患でも有効性が確認されています。
ここでは、特に「認知行動療法」の「痛み」に対する有効性についてご紹介します。
「認知行動療法」は、「慢性疼痛」に対して、他の精神療法より有効である。
(Morley S et al. Pain 1999.)
「認知行動療法」による治療を受けた「慢性疼痛」患者は、「認知行動療法」が終了した後も、6か月以上にわたり効果が持続していた。
(Flor H et al. Pain 1992.)
このような報告があります。
つまり、世界的には、「慢性痛」つまり「痛み」に対して「認知行動療法」が有効である、ということが確認されている、ということです。
エメラルド整形外科疼痛クリニックのホームページにて、「認知行動療法」について詳しく説明していますので、ご興味のある方は、そちらをご覧ください。
また、エメラルド整形外科疼痛クリニックでは、腰痛に対しても「認知行動療法」をしております。
東洋医学は、アジアで発達した治療体系です。
古代インドではじまり、中国や日本に発達しながら伝わったといわれています。
現在の日本の医療では、西洋医学が主で、残念ながら、東洋医学はあまり行われていません。
ですが、東洋医学は西洋医学とほぼ逆の治療体系ですので、西洋医学が効果がない場合でも、東洋医学が効果がある場合があります。
東洋医学をもちいた治療成績もさかんに発表されるようになってきています。
また、東洋医学は、病院でだけ用いるものではありません。
ぼくたちの日々の生活にも応用可能な医学です。
『直漢法 ~自分で観て治す方法~』というサイトに詳細がありますので、興味がある方はご覧ください。
現在の医学の主流が西洋医学であることは紛れもない事実です。
僕自身、西洋医学の教育をうけ、現在、西洋医学を主に用いて治療を担当している1人の医者です。
ですから、決して西洋医学を否定しているわけではありません。
西洋医学のもっとも大きな功績の1つは感染症に対する治療と言われています。
具体的には抗生物質ができて、細菌や真菌(いわゆるカビ)に対する治療ができるようになったことは、とてもとても大きなことです。
救急医療や外傷(いわるゆケガ)に対する治療も、大きく進歩し、われわれはその恩恵を受けています。
ですが、僕は、「西洋医学だけで十分」、とは思っていません。
東洋医学は西洋医学とは逆の概念の医療体系ですが、西洋医学では困難な場合でも、東洋医学ならば治療できる場合があります。
例えば、「中庸」という人間にとって理想的な状態に戻す治療は、東洋医学独自のものです
ですが、「西洋医学と東洋医学だけで十分」とも、思っていません。
世界には、もっともっと素晴らしい知識や知恵が眠っていて、われわれを待っていますから。